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屍姫 玄(最終話)

▼景世
「赫」で描かれたのは屍とたたかう景世[ CV:藤原啓治 ]眞姫那[ CV:秋山奈々 ]の姿。旺里[ CV:羽染達也 ]はその二人を見ながら何の力にもなれない自分をもどかしく思っていた。ここからの旺理の成長がこの作品最大の見所の1つだった。旺理というキャラクターは1つ芯をしっかりと持っていて、それは決して揺るぐことが無い。力が強いわけでもなく、「赫」の段階では屍の子という宿命を知ることもなかったにも関わらず、いつもボロボロになって帰ってくる眞姫那や景世の力になれることが無いか、いつも苦悩していた。屍姫のストーリーが単純な正義と悪の戦いの世界ではなく、この旺理にフォーカスしていたからこそ、これだけ厚みのある重厚な世界観を描くことができたんだと思う。それだけ旺理という存在の描き方は上手かった。

▼旺理
「玄」ではある意味旺理が望んでいた展開になったと言えるのかもしれない。眞姫那の契約僧となり、眞姫那を助けることができるようになったのだから。それでも眞姫那の中には景世がまだ生きていて、そして旺理がそれを超える縁を結べたのかどうかは分からない。眞姫那が旺理との距離をどんどん縮めていくのかな?と思って見ていたんだけど、結果として眞姫那と旺理は「景世」という縁を通じて強く結び付いていた。旺理が自分の我を通そうとするような人間だったら、きっとこの二人は上手くいかなかったに違いない。旺理だからこそ、旺理のキャラクターだからこそ結びついた縁だったと思う。眞姫那の中でも景世と旺理、それぞれに対する心情を整理できたようで、最後の最後で見せた笑顔には心の底からホッとした。

▼キャスティングは失敗なのか?
この作品に触れるにあたってキャスティングに触れないわけにはいかないと思う。なんせ俺も1話の感想では「ストーリーが楽しめる余地がないくらいに悲惨」という疑問を呈しているし、放送後にニコニコ動画や2chがすごいことになったように、少なくとも大好評だったとは言えないだろう。確かに最後の最後まで、羽染達也も秋山奈々も「声優」としての演技の合格ラインには届かなかったかもしれない。それでも飾り気のない旺理や眞姫那の人間性を考えると、そこには過剰な演技は必要なかったと思うし、結論から言えばストーリーを楽しむ分に支障はなかったわけで、俺の印象は間違っていたことになる。仮にこの二人の代わりに人気声優が旺理と眞姫那を演じたらどうか?と言われても、もはや羽染の旺理、秋山の眞姫那以外、俺の中では考えられない。

▼屍が教える生きることの意味
この作品の最終的なテーマは「生きる」ということの意味を問うことだろうか?屍という非現実的なテーマを設定しつつ、その武器は銃器だったり刀だったりとやけに現実的。一方で契約僧は人間なのに座壇術法を使う。この妙なリアリティのアンバランスがこの作品の世界観をよりリアルに感じさせてくれたと思う。眞姫那が最後に「自分は生きる」と言っていた言葉が全て。ノンフィクション要素が多い作品だけど、キャラクターにもストーリーにも大きな芯があって、2クール通してそれが揺らぐことはなく、テーマとして見ている側に問いかけてくる。最後の終わり方もかなり衝撃的と言って良いんじゃないでしょうか。途中感想で何度も書いたけれど、キャスティングだけを理由に見ないとするなら、それはとってももったいないと思う。

屍姫 玄(@TOKYO MX:デジタル) / アニメーション制作:GAINAX、feel.

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