劇場版『いばらの王(King of Thorn)』をみてきた
ここのところ映画という形で良質のアニメーションが供給されることが多くなってきた。この「いばらの王」の劇場版も、その1本に数えられるクオリティなのか。原作は未読ながら、オフィシャルサイトの予告その他を見て興味が沸いたので、早速映画館に足を運んでみた。(4番館の方です。)
▼導入部のスピード感
導入部で一瞬にしてストーリーに引き込まれた理由はA.C.I.S.ことメデューサと呼ばれる奇病。奇病を克服するためのコールドスリープに集まるいわくありげな人物たち。その中でも人目を引く制服姿の双子、カスミ[ CV:花澤香菜 ]とシズク[ CV:仙台エリ ]。さらにはこのメデューサの正体が、コールドスリープを開発したヴィナスゲイトの「細菌テロ」であることをほのめかす演出。圧倒的なスピードで事態が変わっていく、そしてシズクとの別れが徐々に近づいてくる事への悲しみが深まっていくカスミの心情。巧みな場面の切り替えによって、これがリンクする。この作品の世界で何が起ころうとしているのか。期待と不安で既に作品の世界観に取り込まれていた。
▼カスミとシズク
事前にオフィシャルサイトのストーリー等を見ていたので、このコールドスリープが不測の事態で中断されることは分かっていた。分かってはいても、何故そんな事態になったのか?どうして植物のツタが大量に絡まっているのか?ありとあらゆる事態が飲み込めないまま、どんどんと被験者が死んでいく。と同時に、やっぱり気になるのはシズクがどうなってしまったのかということ。それほど長くない時間の中で、次から次へと真実が明らかになっていくし、モンスターに追われると同時にメデューサという病にも追われているロン[ CV:乃村健次 ]やキャサリン[ CV:大原さやか ]の焦りも伝わってくる。なかなかシズクの手がかりにすらたどり着けない状態に、ヤキモキしてくる。
▼物語の主題が変わる
シズクと一緒にコールドスリープセンターに来たとき、明らかにカスミは引っ込み思案で頼りない印象の女の子だった。シズクの存在無くしては生きていけない、そんな弱さが印象的だった。そのカスミがシズクと再会するため、シズクの存在を求めて生きる事を決意し、そして変わっていく。途中おぼれそうになったりもしたけれど、このカスミの行動力。気がつくと物語の主題がメデューサからカスミに変わっていた。そんな作品の転換に気づいたあたり、確かカスミが銃を持ってモンスターを撃ったあたりだっただろうか。「これはもしかして、カスミとシズクが入れ替わっていたりしないだろうか?」という疑問をふと抱く。なにぶん、メガネと髪型以外でほとんど外見的な差が無かった二人だ。もし何らかの拍子で、アリス[ CV:久野美咲 ]の洗脳という形で入れ替わっていてもおかしくはない。
▼残された物は何か
物語のクライマックスについては、やはり劇場で見て欲しいという思いがあるので、これ以上内容には触れないでおく。俺の中で印象に残った感情、それは今思えばカスミのシズクを思う気持ちだったということになるんだろうか。両親をメデューサで失い、二人残された姉妹に訪れた悲しい出来事。何故生きていくのか、生きていくとはどういう事なのか。カスミもシズクもオリジナルという意味での存在は失われたとしても、「希望の無いところに未来はない」というシズクとカスミの言葉が、残されたカスミの存在と共に息づいている。映像面ではバイオレンスやSFと言えるけれど、この作品の根底のテーマはもっともっと大きくて重い物。それを描ききるだけのストーリーと登場人物、そして映像や演出が備わっていたと思う。
結果、これは劇場で是非見ておいて欲しいと思える良作でした。密度がかなり濃いんだけど、あっという間に上映時間が終わってしまった。テレビアニメとはまた違う、映画ならではのスピード感だと思う。見終わったとは清々しさではなく、どうしてもこの重いテーマが心の中に残ってしまうけれど、それが苦でなければお勧めです。映像面ではキャラクターに3DCGを使っているシーンが結構多い。2DCGのアニメでは難しいカメラワーク(例えばカメラも三次元に動いて、さらに人も動くようなシーン)で使われていることも多く、演出としては納得の範囲。音響面でもアニメらしくセリフが引き立っていて、BGMやSEが邪魔をしていない点は素晴らしかったと思う。
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