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フラクタル(最終話:第11話)

▼最終話
結局の所、フラクタルシステムとはどういうモノだったのか?肝心の部分はよく分からず、曖昧なまま最終話を迎えてしまった。それでも、この作品におけるフラクタルシステムの役割を考えれば、作品としてのメッセージに置いて、結局それが何であったかという事実はあまり重要じゃなくて、それが象徴していたものや事象が重要、ということはフィクションの世界では良くある事だ。

とは言え、結局フラクタルシステムは再起動したみたいで、大半の人間は再びその恩恵にあずかる怠惰の生活を取り戻したんだろう。再起動のカギだったフリュネ[ CV:津田美波 ]ネッサ[ CV:花澤香菜 ]は、どうやら1つに戻った、つまり精神と肉体が再び正常な状態に戻ったらしい。う~む、つまるところ・・・これはいったい何だったんだ?鳩が豆鉄砲を食ったようとは、こういう状況の事を言うんだろうか。

起こった出来後を振り返ってみれば、クレイン[ CV:小林ゆう ]が自分の気持ちを向き合い、結果としてフリュネとネッサを救い、自分の気持ちを伝える事が出来た。スンダ[ CV:浅沼晋太郎 ]は僧院の凶弾に倒れた。世界に平和が戻り、クレインはフリュネとの新しい生活をスタートさせた。最終回として必要な要素が一通り盛り込まれた定石のような内容だったのに、どうにも腑に落ちない。

▼広がりのない世界観
この作品、とにもかくにもネット(某掲示板)ではとりわけ評判が良くないらしい。俺としては、そこまで毛嫌いするほどか?という感覚もある一方で、確かにとうなずける面もある。その大きな理由の1つ、俺はこの作品の世界観があまりにも狭すぎる点にあると思う。最終話では宇宙まで飛び出していたけれど、結局クレインやフリュネたちが動き回った範囲は、ものすごく狭い。いや、実際には広い世界があるのは分かるんだけど、それを感じる事が出来なかった。

絵の雰囲気が似ているジブリの作品を敢えて挙げさせてもらうと、ジブリの作品には背景に大きな世界観があって、そこに生活している人の息遣いまで感じるくらい、ストーリーでそれを広げるのが上手い。そういう広がりをこの作品からは感じる事が出来なかった。「壮大な冒険物語」と銘打っているんだから、そこをもっとしっかり見せてくれないと。

▼不思議な魅力あるキャラクター
フリュネにしてもネッサにしても、彼女たち自身の存在が何なのか?ということは最初は全く分からない。だから「彼女たちは何者?」と想像して楽しめる。中盤では少しずつ、僧院やフラクタルシステムとの絡みで、彼女たちの正体が見えてくる。この段階では「じゃあこういう可能性も?」とうように、少しずつ方向性を限定して楽しめる。そして最後には、真実が待っている。全体ととらえてみると、この作品はストーリーよりもキャラクターの見せ方の方が良かったと思う。少なくとも俺は、フリュネとネッサという存在でそこそこ楽しめたし、面白かったと思った。

▼頑張った方
どうもここのところ品質が安定しないA-1 Picturesの作品。その中に置いては、まぁ踏ん張った方という評価にしておく。キャラ原案とかイメージボードとかに期待しすぎると・・・ちょっと痛い目に遭います。

フラクタル(@フジテレビ) / アニメーション制作:A-1 Pictures

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コメント

>不思議な魅力あるキャラクター
フリュネとネッサの魅力は
性的虐待によって生まれたってのがなぁ

フラクタルが正常起動するための
鍵になる鍵は性的虐待だった

ふ~ん、で何が言いたいの?
何がしたかったの?
って感じ

とにかく製作者の思っていることを
アニメのキャラクターにだらだら喋らせただけって感じのオナニー作品って印象しかない

これを物語と言うなら
小学生の絵日記も物語になる


投稿: ふるふる | 2011年4月 5日 (火) 02時38分

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