放浪息子(最終話:第11話)
▼最終話
余韻―。最終話のエンディングは、この作品が作り上げてきた世界観がフィナーレを迎える瞬間と、倒錯劇「ぼくは、おんなのこ」が、今まさに始まろうとするその瞬間、両方の余韻をいつまでもいつまでも漂わせる。エンドテロップを作中に重ねることなく、まるで映画のような暗闇の背景に浮き上がらせるその演出は、お見事!と言うしかない。
いろいろあった修一[ CV:畠山航輔 ]だけれど、気がついてみれば自分が「男の子」である現実を受け止め始めていた。そこに至るまでは紆余曲折があったけれど、改めて安那[ CV:堀江由衣 ]に「好き」という気持ちを伝えた時の修一は、間違えなく男の子だったはず。今もう一度、安那が「キス、したいの?」と聞けば、修一の答えは決まっているはず。
その一方で、よしの[ CV:瀬戸麻沙美 ]とかさおり[ CV:南里侑香 ]は、まだいろいろな感情を引きずっているように見える。どこにぶつけて良いか分からないその感情をもてあましている。そんな彼女たちも、おそらくこれからの修一を見続けていく事で、少しずつかもしれないけれど、何かが変わってくるはず。
原作が連載継続中ということもあり、ストーリーとしては完結を迎えることなくアニメは放送終了を迎えた。それでも、"この先"を予感させる最終話のストーリーはこの物語を締めくくるに十分な出来だったし、敢えて原作にすぐ手を出さず、この先の出来事を想像して楽しむのもアリだと思う。
▼流行りの男の娘?
原作者の志村貴子さんについて言えば、俺の中では「青い花」(連載継続中、欠かさず読んでおります)でお馴染み。その志村さん原作の放浪息子、連載開始は2002年だそうで。アニメとしてこの作品を受け入れる土台が、2010年にしてようやく出来上がった、ということだろう。だから決して、イロモノとしてアニメ化されたわけではない。それはこの全11話を見ていれば自明だ。ストーリー展開に少々唐突なところがあって、キャラクターの心理描写がストーリーを展開させる大きな要員になっているから、気を抜いてみていると完全に置いてかれます。これは志村さんの作風なんだけど、人によっては評価を下げる要因になったかもしれない。
▼深く掘り下げた心理描写
上に書いたとおり、この作品においてストーリーの進行に欠かせないキャラクターの心理描写。今、そのセリフを言った瞬間に修一やよしのは何を考えているのか?モノローグで心理描写をしているように見せているけれど、その実はもっと違う事を考えているんじゃないのか?好きとか嫌いとか、明確な回答が出ない部分で、常に悩み、自問自答する修一たち。表面だけでは決して伝わる事のないこの作品の面白さ。中学生という微妙な年齢をリアルに生きている感覚が、この作品の登場人物からは伝わってくる。
▼デジタル制作ならでは
この作品では、全編にわたってエフェクト処理がされていて、全体的に水彩絵の具で色を付けたような不思議な色調。この淡くてちょっと霞ががったような雰囲気が、とにかく放浪息子の世界観にピッタリ!昔のセルアニメでこれを実現するのは、おそらく困難だったと思う。これぞまさしく、制作のデジタル化の恩恵だ。その制作を手がけたのは、AICが新たに立ち上げた制作ライン、AIC Classicだ。流石に本数を増やしすぎじゃないか?と危惧していたんだけど、少なくともこの作品については100点満点。作品の雰囲気を壊すことなく、最初から最後まで丁寧に仕上げてくれた印象だ。
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